第29回「老眼の話」

老眼の話

 仕事でメールを使う際には、長い文書は本文に貼り付けるのではなく、ファイルを添付することが多いものです。昨今はWordのファイルを使うことが多いでしょう。このWordの文書ファイルは、保存した時に使っていた表示倍率が、次にファイルを開いた時に維持されるようになっています。送られてきたファイルを開くと、時々200%などといった表示倍率になっていて、ノートパソコンではディスプレーの画面に横幅がおさまらず、いらいらしながら表示倍率を下げることがあります。昔は「何でこんなバカな設定になっているんだ」と思っていましたが、自分が老眼になって見ると、細かい字が読みづらくなって、ついつい表示倍率を上げるようになってしまいました。それでも200%にまでしたら、画面に入りきらず、かえって不便だろうと思っていたのですが、そういうファイルをよこす人のパソコンを最近見たら、特大のディスプレーを使っていました。以前は、そういう人は、年を取って懐が豊かになって贅沢なディスプレーを使っているのだと思っていたのですが、むしろ年を取って「必要に駆られて」という側面が大きいのかもしれません。

 では、老眼が進んだけれども貧乏性なので大きなディスプレーをわざわざ買う気になれない僕の場合はどうするかといえば、普段からフォントの大きさを14ポイントに設定しています。これだと、1行の文字数がだいぶ少なくなるので、同じぐらいの大きさに拡大しても画面からはみ出しません。お金のない人にはお勧めです。

 とは言え、他にも老眼になると色々不便が生じます。埼玉大学のN教授は、電車の中で本や新聞を読もうとしても、顔から離さないと読めないので、満員電車の中では何も読めないと言っていましたが、僕もかなりそれに近くなってきました。ほとんど腕をまっすぐ突っ張って本を読んでいるN教授ほどではありませんが、子供に「これ見て」と何かを顔の前に突き出されると、まずは、ぐっと遠ざけるところから始めなくてはなりません。困るのが図書館で、背表紙の題名を読もうと思って後ろに下がろうとすると、後ろの本棚に突き当たるので、にっちもさっちも行けません。老眼鏡なしでは図書館には行けなくなりました。

 この老眼鏡の使い方を見ると、その人が近眼かどうかはすぐわかりますね。例えば、東大駒場のI教授の場合は、普段眼鏡をかけていて、何か細かい字を読もうとすると、眼鏡をはずします。近視プラス老眼の人はたいていこのタイプです。これに対して、若いころから「園池さん目はいいんですね」と言われて、何で限定の助詞「は」がここで使われるんだ、と思ってきた老眼のみの人間の場合は、普段は眼鏡をかけず、本を読むときなどに眼鏡をかけることになります。老眼で文庫本の細かい字は読みづらいのですが、視力検査をするといまだに視力は裸眼でも1.2程度です。近視・遠視と老眼が独立な事柄であることがよくわかります。面白いことに、数年前に老眼が始まったばかりの時は、眼鏡を外したり取ったり大忙しでしたが、今は、文庫本や論文を集中して読むとき以外は眼鏡をかけなくなりました。自分でも「何故かな」と思っていたのですが、どうやら、全てのものをくっきり見ようという努力を放棄したせいのようです。靄がかかったようなあいまいな世界に安住できるようになったということは、それ自体年を取った証拠なのかもしれません。心なしか性格も丸くなったような。あくまで数年前との比較の上の話ですが。

2013.10.28(文:園池公毅/イラスト:立川有佳)
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