第34回「臨機応変な会話」

臨機応変な会話

 その昔、東大駒場の加藤研にはお茶の時間がありました。加藤研究室のメンバーになると、だれでもまずコーヒーの入れ方を、今は岡山大学教授のTさんから習います。コーヒーは豆で購入して、研究室に置いてあるミルで挽きます。挽き終わった粉の表面にフッと息を吹きかけ、軽い薄皮由来の部分を取り除きます。次いでフィルターペーパーをセットしたコーヒーサーバーに粉を入れて、お湯を「の」の字に注いで一度止め、しばらく蒸らします。それから残りのお湯を注いでいくのですが、その際にふわっと膨らんだ泡をつぶさないように注意します。そのようなお作法を、研究室に入ると、実験ガラス器具の洗い方の次に習うのです。3時ごろになると、誰かがコーヒーを入れて、みんなで一服するのが加藤研の習慣でした。

 そんな話をしたせいでしょうか、家でコーヒーを入れるのは僕の役目と決まっています。例えば、妻が何か一仕事終えて「ふう。一服しないか?」と言ったらば、それを疑問形ととってはいけません。勧誘ですらなく、それは「コーヒーを入れろ」という命令形なのです。おそらく、どこの家でもそうなのではないかと思いますが、長年一緒にいると、他人だったら翻訳が必要になる会話が生じてくるものです。昔の映画やドラマには、一家の主人が黙って湯呑をすっと突き出すと、楚々とした奥方が、これまた黙ってお茶をつぐといった場面がよくありました。今は流行りませんが、長年連れ添った夫婦の以心伝心を表す演出です。これも、言葉ではありませんが、動作から意味を読みとるという意味では翻訳なのかもしれません。

 この他に翻訳が必要な会話には「あれをあれしておいてね」といったたぐいのものがあります。これを、朝の出がけだったら「玄関のごみを集積所に出しておいてね」といった具合に、状況に応じて臨機応変に翻訳する必要があります。これは、状況依存的なだけに、なかなか高度な修練が必要で、いつも通じるとは限りません。通じないと、「夫婦だろ。そのぐらいわかるはずだぞ」ということになります。まあ、いくら夫婦でも、わからないものはわからないわけですが。とは言え、同じことを言った場合に、妻と子供のどちらにより理解されるかと比較すると、やはり妻の方が通じる可能性が高いようです。これは、夫婦だから通じるというよりも、状況判断能力の違いのようです。判断の材料となる個々の状況の引き出しは、やはり年をとっていた方が多くなりますし、複数の条件の組み合わせを考慮する能力は、経験とともに磨かれるようです。

 実は、このような状況判断能力は研究を進める上でも重要です。実験をしていてよくわからない結果が出てきたときに、その結果だけから判断するのではなく、その実験の際の状況と、過去の経験を考慮に入れて判断すると、実はそれが簡単なミスに起因することがわかる場合もありますし、失敗に見えた実験が実は全く新しい発見であることを認識できる場合もあります。このような状況は、研究だけに限らず、一般社会の仕事全般にも言えるのではないでしょうか。この手の能力も経験によって磨かれますから、これが年寄りの存在意義でもあるのでしょう。年をとって良くなることが少しはないとね。

2013.12.2(文:園池公毅/イラスト:立川有佳)
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