第37回「留学思い出話2 部屋を決めるまで」

留学思い出話2 部屋を決めるまで

 留学を決意して、生き先に選んだのがワシントン大学のヒマドリ・パクラシさんの研究室です。僕がポスドクをしていた理化学研究所にもしばらく滞在していたことがあって顔見知りでしたし、ワサビが好物という日本通です。シアノバクテリアの分子生物学を中心とした研究内容も、それまで生化学と分光測定を主にやってきたものにとっては魅力的でした。ワシントン大学というからワシントンの近くなのかと思ったら、住所の州のコードがMOとなっています。モンタナ州ことだなと思って調べると(といっても当時はWEBが普及する前ですから「地球の歩き方」などを見ることになります)冬は寒そうですが、スキーのリゾートなどもあってイエローストーン国立公園にも近く、変わった体験できそうです。などと、わくわくしていたら、モンタナ州の州コードはMTであることが判明しました。ではMOはどこかと調べるとミズーリ州です。州都のセントルイスという町の名前は聞いたことがありますが、なにやらブルースと関係するかもしれないという程度の知識で、まあ、行ったらわかるだろうと、開き直ることにしました。今でしたらWEBからいくらでも事細かな情報が手に入るでしょうから、この20年の歳月の流れを感じます。先立つものに関しては、いくつか海外派遣プログラムに応募して、幸いヒューマン・フロンティア・サイエンス・プログラム(HFSP)というところから短期留学のフェッローシップをもらうことができました。

 ビザを取りにいったアメリカ大使館で、何の説明もなく2時間半待たされる経験などを乗り越えて、ようやくセントルイスに出発です。空港にはパクラシさんが迎えに来てくれていて、車で大学に移動して、大学のゲストハウスに入りました。ただ、ゲストハウスは2泊しかできないので、翌々日までには住む家を決めなくてはなりません。翌日、パクラシさんに案内してもらって大学のアパート紹介所で物件をいくつか紹介してもらいました。最初に見たのは、3ベッドルームのマンションで、1つのベッドルームの広さが日本の狭いマンションぐらいあります。一人暮らしで、しかも昼間はほとんど部屋にいない生活が予想される中で、がらんとした巨大なスペースで寝起きをするのは、どうにも気乗りがしません。しかも、必要な家具などはすべて自分で入れなくてはなりません。とりあえず、次の物件を見てみることにしました。

 次は、マンションではなく、一般の家の一部屋を借りる形のところです。いわゆる下宿ですね。案内されたのは、天井が斜めになった、小ぢんまりとした屋根裏部屋です。天井には大きなファンがついていて、東と西の壁に小さな窓が二つ開いています。部屋の南側には小さなベッドが一つ置いてあり、他には小さな衣装箪笥と机と椅子があるだけです。今はどうか知りませんが、当時のセントルイスの建物の部屋の天井にはよくファンが付いていて、扇風機というよりは、冬場に、暖かい空気が天井にたまらないようにするために使われるということでした。一目見て気に入り、即座にここに決めました。キッチンとバスは大家さんと共有、洗濯はコインランドリーで、ということなので、家具などを購入する必要もありません。大家さんは女性で、セントルイス交響楽団のバイオリン奏者です。部屋代は月額300ドルでした。その場で最初の月の分のお金を払って玄関のカギを受け取りました。アメリカというと、ハロウィーンの仮装をして訪れた子供が玄関で射殺されるといったイメージを持っていたのですが、一人暮らしの女性(その後ボーイフレンドがいることはわかりましたが)が、その日初めて会った外国人に自分の家のカギをためらいなく渡すのを見て、少しアメリカの印象が変わりました。(つづく)

2013.12.24(文:園池公毅/イラスト:立川有佳)
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