第44回「1番と2番」

1番と2番

 今はなくなってしまったと思いますが、かつて東大の理学部には、理学部長杯バレーボール大会というのがありました。30チームほどが参加するなかなかレベルの高い六人制の大会です。もう二十年ぐらい前の話ですが、所属していた植物学教室にたまたまバレーボールの経験者が2名いたことがあり、運動神経がありそうな他のスポーツの経験者(テニス2名、野球1名、走り高跳び1名)が加わって出場しました。挑戦1年目はあえなく予選で敗退、2年目も決勝トーナメントの最初で敗退したので、3年目は猛練習を重ねて挑みました。

 主に練習をしたのは、トスを上げるセッターを前衛の一人が務める前衛ツーセッターというフォーメーションです。今では前衛のツーセッターは太古の遺物扱いですが、トスと見せかけて直接アタックするツーアタックが得意だった僕ともう一人でセッターを務めて準決勝までは快進撃を続けました。ところが、決勝では、最初こそ競り合っていたのですが、2セット目からは相手がバックアタックを多用し始めて、素人の試合にバックアタック?と茫然としている間にあえなく敗れ、準優勝となりました。

 オリンピックを見ていて、久しぶりにそのバレーボール大会のことを思い出しました。理学部長杯とオリンピックを比較すると笑われそうですが、銀メダルを取った人の複雑な胸中は理解できるように思います。銀メダルを取った人もうれしいとは思いますが、金メダルを取った選手に負けてもらえるメダルです。冬季オリンピックの場合は、それでも大勢で得点を競う競技が多いのでまだ敗北感が少ないかもしれませんが、決勝に二人もしくは二チームが残るタイプの競技では、目の前の相手に負けることによって銀メダルが確定するので「目出度さもちう位也」という感じがします。

 もっとも、考えてみれば研究の世界はもっと厳しいわけです。何かを2番目に発見したとしても、それは全く評価されません。金メダルだけあって、銀メダルも銅メダルも入賞もないオリンピックのようなものです。とは言え、オリンピックよりも研究の方がよい点も一つあって、それは種目を自分で作れる点です。研究の世界では、皆の共通の目標があるわけではありませんから、何も人と同じ分野で競争する必要はありません。平泳ぎでは競争が激しそうなら、バタフライを考案してもよいわけです。もちろん、熾烈な研究競争を勝ち抜くのは才能のある証ですが、競争があるということは、その研究をその人がしなくても、すぐに別の誰かが結果を出すということです。それならば、その人が研究をやめても、科学の発展にはほとんど影響がないことになります。医学や工学などの応用研究の場合には、個人や所属機関の利益、場合によって国益さえも絡みますから一概に言えませんが、理学的な研究の場合には、その人でなければできない研究をするのが本来の姿だと思います。2番ではダメですが、色々な1番があるのが、科学研究のよいところでしょう。

2014.2.24(文:園池公毅/イラスト:立川有佳)
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