第45回「悟りの境地」

悟りの境地

 普段から周囲の物事に気を配るたちではありませんが、通勤のように毎日繰り返す単純な動作の間は、どうしても脳みそが止まって体だけ動くようになります。考えてみると、年をとると年月が速くたつように感じる原因は、これかもしれません。年をとるにつれて経験済みのことが多くなれば、思考が停止している時間の割合は増えていくのではないでしょうか。そのような間は時間がたっているようには感じないとすれば、脳みそがきちんと働いている主観的な時間は年とともに減っていくことになります。

 それだけではなく、考えていない時間の増加は、物忘れを激しくするという話もあります。脳には基質的な問題がないのに物忘れが激しくなって日常生活にも支障をきたす人に対して、通勤経路を毎日変えることを勧める場合があるようです。これは、少しでも新しい経験によって脳みそを動かすことが、物忘れの防止になるということでしょう。日頃、話をしていても固有名詞が全く出なくなっていて、人の名前はもちろん、最近では「そこのパンを焼く機械を…」「トースターならトースターって言えないのか?」などという会話を繰り広げている身としては、脳みそ停止状態の時間を少なくすることによって物忘れがなくなるのであれば是非努力したいところです。通勤の時に歩く経路はなるべく変えて、歯磨きの時には意識して何かを考えるようにしています。

 でも、やってみると、単純動作の間に意識して考えるというのは思ったよりも大変です。最初は何かを考えていても、そのうち思考が止まったゾンビ状態になっているのにはっと気がつくことがよくあります。よく、座禅をしていてもなかなか無心になれないという話がありますが、どうもその逆で、何かを考えようとしても心が空になってしまいます。齢五十幾つにして高僧の境地に達してしまったのかもしれません。

 考えてみると、自分で手を動かして実験をして研究に邁進していた三十ぐらいの頃は、風呂に入っていても歯磨きをしていても、その日に出た実験結果の解釈や、今後の実験の方針を常に考えていました。生物学のような実験科学は、実験をしないと研究が進まないのはもちろんなのですが、実際に研究がどれだけ進むかは「どれだけ長く実験をしたか」よりは、「どれだけ長く研究のことを考えていたか」に依存しているような気がします。その意味では、高僧の悟りを開いてしまった現在は、研究者として失格なのかもしれません。開き直って言えば、悲しいことですが管理職になり果てたものが、歯磨きの際にボーっとしているのはむしろ当然のことなのかもしれません。その分、いま研究室で手を動かして自分自身の研究をしている学生が、歯磨きをする時にも研究のことを考えてくれているとよいのですが。

2014.3.4(文:園池公毅/イラスト:立川有佳)
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