第46回「進歩の功罪」

進歩の功罪

 歯磨きをしている間にボーっとしているのももったいないので、つれづれなるままに歯磨きのことを考えてみました。歯ブラシにつけるペーストのことを、僕などは今だに歯磨き粉と呼んでしまうのですが、今は何と呼ぶのでしょうね。歯磨きペーストか、あるいは練り歯磨きでしょうか。僕が生まれたころには、既に本当の「粉」状の歯磨きはなくなっていたと思います。ものの名前には一種の「慣性」があって、一度定着するとなかなか変わらないことがわかります。とすると、今の若い人でも案外いまだに歯磨き粉だったりするのかもしれません。

 一方、歯磨きの方法自体は大きな変遷をたどっています。昔は歯ブラシに歯磨き粉をつけて横にごしごしするものと相場が決まっていました。しかし、小学生の頃だったかに、実はごしごしこするのは間違いで、歯ブラシは縦に歯の生えている方向に回転させるように磨くのだとローリング法というのを教わりました。確かに言われてみれば、溝を掃除する時には溝にそってブラシを動かした方がよい気がします。納得して、そのような方法に切り替えてしばらくすると、今度は、それはあまり良くない、という話になりました。むしろ、歯に垂直に歯ブラシの毛をあてて細かく左右に振動させるのがよい、ということになりました。ローリング法のようにブラシの毛を寝かせて使ってしまうと、むしろ汚れが落ちづらいというのです。こちらは、何か一つ前の方法に戻るようで、あまり納得はしなかったのですが、専門家がそう言うのであれば、とそのように方法を変えました。ところがまたしばらくすると、今度は、ブラシをあてるのは歯ではなくで、歯と歯茎の境目にあてる方がよい、という話です。さすがに「うーむ」と思いましたが、人に言われたことは素直に聞くたち(自称)なので、そのように変えてしばらくすると、歯磨きだけではだめで、必ずデンタルフロスを使いなさい、と指導されるようになりました。方法が改善されることは望ましいのですが「では今までの方法は何だったんだ」という思いはぬぐえません。

 科学的な発見を論文にする場合、既に発見されていることでは意味がありませんから、その発見は「今までは知られていなかった」あるいは「今まで考えられていたことは間違いで、こちらが本当だ」と主張する必要があります。ですから、前の状況の否定は悪いことではなく、むしろ科学の発展の証です。しかし、否定されるのが、自分の健康と直結することだと、発展の証だからと澄ましてはいられません。同じようなことは教育についても言えます。今までこれこれの教え方をしていたけれど、新しい方法に変えたら勉強量は同じで生徒の成績がぐっと上がった、という論文を見ると、教育学としては喜ばしい発展だと思うのと同時に、前の教育方法で学んできた生徒はひどく損をした気になるだろうな、と思います。このあたりは、実用研究が基礎研究と異なる点の一つでしょう。

 さて、歯磨きに関しては結局どうしたかというと、どうも専門家の言うことも必ずしもあてにならない気がしてきたので、ローリング法と、細かく振動させる方法と、デンタルフロスを全て併用することにしました。どれかが「当たり」ならばよいかな、という考え方です。今の所、虫歯はほとんど増えていないので、中に当たりがあることだけは確かなようです。

2014.3.10(文:園池公毅/イラスト:立川有佳)
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