第9回「内と外」

内と外

 都内の小さな商店街は道が狭いので、まともな歩道がついていないところがよくあります。僕がよく通る曙橋の商店街も、道の両側に白い線が引いてあるだけで、きちんとした歩道がありません。先日来そこで工事が行なわれていました。道が狭くなっていて危ないものですから、交通整理をする人が立っています。そこに近寄っていった時に「車が来ますので、白線の外側をお歩きください」と言われて耳を疑いました。車道を歩けと言うのでしょうか。言い間違いかな、と思ったのですが、通り過ぎた後に振り返ると、後ろの人にも同じ「白線の外側」を繰り返しています。よく見ると、手振りでは、歩道を歩けと指示をしています。この矛盾を解くべく、しばらく沈思黙考した末にたどり着いた結論は、「この人は車なのだ」ということです。内側、外側というのは相対的なものですから、車から見れば歩道は白線の外側になります。おそらく普段、家の近くのコンビニに行くにも車を使う生活をしていて、歩くということをしない人なのでしょう。歩道は白線の外、という車目線が染みついていて、歩行者に指示する際にも歩行者の立場に立って考えることができなくなっている、と考えれば、この人の奇妙なセリフを理解することができます。一つのセリフからその人の生活の様子までを見通したシャーロック・ホームズばりの推理に満足して、その場をおもむろに立ち去ったのでした。

 内と外が相対的なのは生き物でも同じです。人間の口から食道、胃、腸を経て肛門まで通っている管の内側は、人体から見ると実は外側である、という言い方をよくします。植物も同じで、葉の気孔を通って葉の中に入ったところは細胞と細胞の間ですから、やはり植物の細胞から見ると外側ということになります。しかも、この隙間はただの隙間ではありません。光合成のために必要な二酸化炭素を、気孔から葉の細胞に届けるために必要不可欠なものなのです。何しろ細胞の中を二酸化炭素の広がっていく速度は、空気の中で広がる場合の千分の一程度です。細胞の隙間の空気の部分が二酸化炭素を通すからこそ、葉の中の細胞は光合成に必要な二酸化炭素を十分に取り入れることができるのです。もし、葉の中に細胞がぎっしり詰まっていたら、すぐに細胞は二酸化炭素不足になってしまうでしょう。では、細胞を直接外に面しておけばどうでしょうか。二酸化炭素は取り込めますが、今度は干からびてしまうでしょう。内にして外、という微妙なバランスが必要なゆえんです。

2013.06.03 (文:園池公毅/イラスト:立川有佳)
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