第2回「アーノン先生(2)」

 さて先月は、サンピエトロとアーノンとの大変な不和の話のほんの出だしで、PPNRとは何だ?で終わってしまった。今回はその続きである。

 PPNRとは何ぞや?という前回の問いの答えは「PPNRとは、Photosynthetic Pyridine Nucleotide Reductaseの略である」となるが、ピリジンヌクレオチドって何?と聞かれそうだ。皆さんおなじみのNAD(Nicotinamide Adenine Dinucleotide)を昔はDPNと言っていたのをご存じですか?これはDiphosphopyridine Nucleotideの略である。光合成にとってはもっとおなじみのNADPはTPNと言っていた。こちらは、Triphosphopyridine Nucleotideの略。私が生化学研究を始めた1961年頃はまだ皆DPNと言っていた。理屈っぽいイギリス人たちがIUPAC (International Union of Pure and Applied Chemistry) の中で、酵素名など“系統的”に分類し名前も付け替えることを始めたのがこのころで、DPN/TPNはいかんNAD/NADPにしなさいと言いだした。現在は、IUPACから抜けてIUBMB (…of Biochemistry and Molecular Biology) といってIUBS (…of Biological Science) の一部になっているらしいが。私が大学院に進んだその当時 IUPACが出した本が海賊版で出回っていたのを思い出す。徐々にヨーロッパから使われ始めたもののアメリカでは永いことDPN/TPNが優勢だった。ちなみに今になって私の修士論文(J.Gen.Appl.Microbiol.11 51-60(1965))を調べたら既にNADを使っていたのに気付いた。日本人は新しもの好きだなあとも思うが、頑固なアーノン先生は1970年代終わり頃にもまだTPNと言っていた。未だにヤードポンド単位を使っているアメリカ社会は全体として意外に保守的ではあるけれど先生は特にひどい。とはいえ、酵素名に関しては、例えば、そのときOxidoreductaseと名前を変えよと提案された酵素群(当時ほとんどがDehydrogenaseと呼ばれていた)は未だにDehydrogenaseと、古くからの名前が慣用的には現在も広く使われている場合が多い。あまりにも長ったらしいからだろう。例えば、臨床検査でお馴染みのLDHと略称でよばれる慣用名lactate dehydrogenase(乳酸脱水素酵素) をI.U.B.: 1.1.1.27. L-Lactate:NAD+ oxidoreductaseと呼べと言われたって普及するわけはない。ところがDPNとNADは字数が同じだからその後かなり急速にアメリカも含めて全世界に普及してしまった。

 もともと生化学屋だった筆者の地金が出て余談が続き過ぎてしまい恐縮だが、もう少し言わせて頂くと、nicotinamide という名前はおかしいところがある。ニコチン酸は、歴史的にはタバコのニコチンを硝酸で酸化して得られたからということで大昔に命名された。正確には3-カルボキシピリジン(ピリジン核の3の位置にカルボキシル基が付いた構造)である。本当のニコチンは、ピリジン環こそあるが、3の位置にNを含む環状の構造をもつ構造で、ニコチン酸とはあまり似ていない全然違うアルカロイドの一種である。

 この辺でPPNRに戻ろう。Pyridine NucleotideとはDPNとTPNを総称した言葉で、今ならNADとNADPを総称したNicotnamide adenine nucleotidesとでもいうべきものである。このreductaseと名付けられた“酵素標品”はクロロプラストをアセトン処理してさらにアセトン分画して得られた。硫安分画はご存じだろうが、アセトン分画は聞いたことのない人も居られるかもしれない。-20oCに冷やしたアセトンを適当量加えてタンパク質を沈殿させる方法でアセトンの%を適当にして目的タンパク質を特異的に沈殿させる方法である。硫安と異なり、変性されるタンパクも多く、あまり広く使われなかったが、ある種の酵素には大変有効でかなり使われた。PPNRには有効であった。前回紹介したSanPietro/Langの論文(J.Biol.Chem.(1958) 231:211)では、クロロプラスト懸濁液にPPNRとTPN(NADP)を加え光を当てると340 mμの吸収が増えるという。340 mμ とは今の340 nmのことで、要するにNADPがNADPHに還元された、いいかえるとNADPがHill試薬として働くに必要な酵素が発見されたということでセンセーションを巻き起こした論文である。TPN(NADP)がHill oxidantでカルビンサイクルにHを供与するはずと考えられてきたから暗反応と明反応が初めて橋渡しされたことになる。mμ(ミリミクロン:波長の単位)に話を戻して、またまた余談で恐縮だが、先述の私の修論ではまだmμを使っていて、1967年に書いた博士論文(J.Biochem. (1968) 64:99)では、NADを使ったものの波長はmμだったが、Chance研で1968年に書いたもの(Plant Physiol.(1969) 44:527)では、既にnmとなっている。Arnon研は1969年の論文でもまだmμを使っていた。

 もとに戻って、PPNRが酵素かどうかということが一連の騒動と大いに関係がある。騒動はArnon研の1962年の論文(Nature (1962) 195:537)に始まる。ここでは、PPNRは実はフェレドキシンで、酵素ではなくシトクロムのような電子伝達体であると言い切り、”PPNRはinappropriately named”とまで言ってしまった。ここで示したスキームは基本的には今も通用する。実際は、直ぐ後に分かったことだが、PPNRには酵素(ferredoxin NADP+ reductase: FNR)も少しは含まれていた。アーノン研はサンピエトロのPPNRを出発標品として、DEAEセルロースを使って精製し、結晶化したものがフェレドキシンだと同定したのだ。いわゆる純化したことが重要である。タンパク質吸着性のDEAEセルロースはネットで調べると、1956年に最初に発表されている。実際に応用されはじめたのは、いつごろからなのだろうか。1960年発表のLDH関係のJBC論文では既に使われていた。私事になるが、当時東大応微研助手だった恩師故水島昭二さんに酵素精製の手ほどきを受けたとき、硫安分画と共に教えて頂いたのがDEAEセルロースカラムで、1962年だった。水島さんは当時阪大の奥貫研の山中健生さん(東工大名誉教授)と親しかったし、生化学、特にタンパク精製では関西学派が進んでいたから、そちらの方から教わったのではと推測している。和田敬四郎さんも奥貫研では故萩原文二さんがイオン交換法をいち早く導入されたと言っておられる。ちなみに、生化学における酵素精製の重要性を強く言っていた一人があの有名なKornberg(DNA polymerase発見者・ノーベル賞)だが、彼の有名なJBC論文(1958)にはまだDEAEセルロースが出てこない。

 なぜこんなにDEAEセルロースにこだわるかというと、サンピトロvsアーノン戦争に大いに関係がありそうだからだ。

 このNature論文は奥貫研から行った田川邦夫さん(現阪大名誉教授)がほとんど全てやられた仕事らしい。日本の奥貫研から持ち込んだDEAE法が勝負を決めたのだ。サンピエトロ研はDEAEセルロースを使わなかったことで純品まで精製できず、更には酵素であると信じ切ってしまっていた。実は、PPNRには、フェレドキシンだけではなく、酵素もふくまれていた。実際、サンピエトロ研は、既に1960年にはPPNRからNADとNADPの間で水素交換する酵素(transhydrogenase)として部分精製して発表している(J.Biol.Chem.(1960) 235:2989)。このあとアーノン研に奥貫研から来た新 将光さん(のち神戸大)がやはりPPNRから今度はFNRとして精製し結晶化までしている。そしてFNRにはtranshydrogenase活性もあることが分かったけれど、本来の機能は光化学系からの電子をフェレドキシンが受け取り、還元型になったフェレドキシンの電子を使ってNADPをFNRが触媒として働いてNADPHに還元するというスキームである。今でも正しい。

 ある意味ではより正統派の生化学者であったサンピエトロが敗北した原因はDEAE以外にも何かありそうだ。あまりに長くなったのでその話は次回としよう。

2013.09.09
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