第3回「アーノン先生(3)」

 今回は、まず前回の一部の記述をおわびとともに訂正させて頂く。Kornbergの“有名なJBC論文(1958)にはまだDEAEセルロースが出てこない”というのは正しくない。このpaper (JBC 233:163-170,1958) はDNA polymerase発見を告げる歴史的なものだが、よく読んでみたら、大腸菌からの酵素精製にDEAEセルロースがちゃんと使われていた。ここには1956年の最初のDEAE論文(JACS 78:751)が引用されている。誰が最初に酵素精製にDEAEセルロースを使ったのかは分からない。Kornbergの論文で使われた実験条件はリン酸バッファ(pH7.2)で、私が水島さんに教えてもらったのとそっくりである。一方、前回出したタガワ・アーノンのNature論文(Nature (1962) 195:537)はトリスバッファーを使ったりしていて大分違う。これについては後でちょっと触れる。

 さて本題に戻る。

 改めて上記Nature論文を読むと、サンピエトロ一派が怒る理由が分かるような気がしてきた。ここには、PPNRのインパクトを弱めようとしているかのような記述が多々見られる。例えば、PPNR論文(J.Biol.Chem.(1958) 231:211))は引用しないで、その後1961年に書かれた単行本のなかの総説(Light and Life, 1961)だけ、それも、それ以前に出ているいろいろなFactorに関する論文7編を並べたてたうちの2番目にである。1番目はArnon研が1957年に出したリン酸化に関する報告(Nature 180 182(1957))である。この中にはTPN reducing factorなるものの短い記述があるだけ。他にはHill研のcytochrome reducing factor関係の論文(いずれも1960年)3編が引用されている。これらは、Hill反応で天然のHill試薬としてのシトクロームやNAD(DPN)・NADP(TPN)を還元をさせるのに必要な可溶性画分を葉とか葉緑体から抽出したという報告である。

 改めて読むと、サンピエトロのPPNRの論文(1958)は他と比べてしっかり書かれている印象である。ただし上記アーノンのTPN reducing factor(1957)は引用されていない。けれどもこの1958年のPPNR論文には、Received for publication, July 12, 1957とあるから、サンピエトロはまだ見てなくて引用していない可能性は十分にある。唯一、酵素にとらわれ、第3のファクター、電子伝達体という考え方がなかったのが最大且つ致命的欠陥であった。

 ここで、いくつかZスキームを挙げさせて頂く。まず1960年発表のHill-Bendall Schemeである。これはZの形をしていない。Nあるいはそれの逆(ロシア文字のイー)の形をしている。にもかかわらず、Z-Schemeといっているのは、その考えの中にゼット型スキームがあったからで、10年以上後に、Govindjee夫妻の書いた総説 (Bioenergetics of Photosynthesis, Academic Press, 1975) の図を見るとよくわかる。明らかにこれ以前に誰かゼット型を書いた人がいるはずだが、今回このZ型を誰が最初に書いたか調べが間に合わなかったので、分かったら次回以降に書くつもり。どなたかご存知でしたら教えてください。それはそれとして、真中は、アーノン研がHill-Bendallのわずか1年後に出しているものだ。わずか1年後といってもこの間にオランダのDuysensたちが現在のPSI(Photosysytem I)とPSIIをそれぞれSystem 1 とSystem 2と呼ぼうと提案している。この命名法をアーノン先生が無視しているのは、先生の典型的態度だが、それについては後でたびたびお話するとして、ここにはまだ電子伝達体という概念がないことに注目していただきたい。PPNRが素直に引用されていて、酵素が電子伝達を行っていると書かれている。

 このNature論文の著者は、Losada/Whatley/Arnonで、田川さんの名前はない。フェレドキシンの発見は、この翌年、1962年で、化学会社のDuPontの研究所から発表され、4月5日受理のBBRCに出ている。同じ1962年のTagawa/Arnonの上記Nature論文は8月11日号(受理年月は書いてない)で、このBBRC報告はちゃんと引用されている。さらによく読むと、BBRC出版の前にpersonal communicationがあったと書いてあった。このころまでにアーノン研は、紅色イオウ光合成細菌クロマチウム(Chromatium)が強還元剤ジチオナイト(Na2S2O4)を与えて光を当てると水素ガスを発生する現象を報告している(Nature 190 601 (1961))。そこには、まだフェレドキシンみたいな概念はないが、機は熟していたと書いている。フェレドキシン発見者たち(Mortenson/Valentine/Carnahan)とどうして親しかったのか、多分この1961年のNature報告が関係しているかもしれない。Mortensonたちも彼らの使った嫌気性菌クロストリジウムChlostridium pasteurianumでジチオナイトを使って水素発生をさせているのだ。そしてここで菌の培養などをやってAcknowledgementに出てくるDuPontのDr. H.F.Mowerという人は、何とTagawa/Arnon論文にも乾燥菌体の提供者としてAcknowledgementに出てくる。それはさておき、要するに新しい電子伝達体としてのフェレドキシンの概念は両研究グループの密接な意思疎通からも生まれた可能性がある。

 ここで先に行く前に、前回DEAEセルロース法が日本の奥貫研あたりからアーノン研に導入されたと書いたが、多少訂正する必要があるかもしれない。DuPontグループもDEAEセルロースを使って精製しているのだ。ただし、大分条件が違うし、なんといってもアーノン研(というより田川さん)は同じクロストリジウムから結晶にまで精製してしまっている。そしてこれを高等植物の光合成と結びつけて、さらにはクロロプラストからもフェレドキシンを精製してしまったのは、やはり快挙としか言いようがない。

 さて今回は、これ以上脱線して遅れないようにここまでとさせて頂く。

2014.10.14
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