第5回「サンピエトロ先生」

 さて、この辺で、クロロプラストでNADPH2ができる過程をまとめてみる。フェレドキシンは光化学系1(PSI)の還元側から来た電子で還元され還元型フェレドキシンになる。これが電子供与体となってFNR(Shin)が触媒してNADPが還元型(NADPH2)となる。

 またまた余談で恐縮ながら、「PSIの還元側から来た電子」と書いたが、直接電子を与えるPSI複合体結合の電子伝達因子のどれか?ほとんど全ての教科書には、「PsaCに結合したFAとFBという2つの鉄イオウクラスタである。」そう書いてあるが、私に言わせれば、実ははっきりした証拠は未だないのだ。PsaAとPsaBにまたがって結合していると考えられているFX(私に言わせれば、P430であるが)ではないという証拠はない。私のP430の最初の論文は1971の Proc.NASだが、次はイタリアのストレサであった2nd International Congress of Photosynthetic ResearchのProceedingsで確かFerredoxinとFNRを加えると、閃光で還元されたP430の暗所での再酸化が、artificial acceptorであるメチルヴィオローゲンの場合と同様に促進され、このnatural acceptor systemがP430からの電子を受け取っている証拠であると記述した覚えがある。因みに、このとき使ったFerredoxinとFNRは、新さんがKetteringのサンピエトロ研で作って(多分2-3年前)残した標品をキーさんがフリーザーに大事にとっておいたものであった。ケタリングではShinとは言ってなかったが。

 前回サンピエトロ先生の話ばかりしてしまったが、私自身彼の研究室に居たことはないし、共著論文もない。でも、ずいぶんこの方とはいろいろ直接間接に関わりがあったので今回もまた彼関係の話ばかりになってしまうのをお許しいただきたい。

 最初に会ったのは多分1969年夏のGordon Conferenceだろう。西村先生に紹介されて握手ぐらいした可能性があるが、何と言ってもその特異な風貌が印象的で当然その前から名前を知っていたこともありすぐ覚えた。この学会では、彼と当時大学院生だったヨーカム君が大きな話題を呼んだ。“FRSの発見”である。FRSとは、ferredoxin reducing substanceの略で、PSIのprimary electron acceptorと銘打って華々しくデビューしたのだ。あのときの演壇にサンピエトロ先生と一緒に立っていたヨーカム君の背は高いし堂々たる体格ながらオズオズとしてはにかんでいる“初々しい”姿が非常に印象的で、恐らく会場にいた多くの人たちが、素晴らしい新人が登場したな、サンピエトロがうらやましいなと感じたのではないかと私は思ったのを覚えている。彼は軍隊上がりで他の人より遅れて大学院に入ってきた新人だとサンピエトロ先生が誰かと話していたのも覚えている。アメリカには、今でもあると思うが、ROTCという制度がある。Reserved Officer Training Courseの略で米軍の奨学金制度の一つである。大学に入学したときこれに入ると授業料から生活費までほとんど米軍が払ってくれるらしい。その代り授業の合間にときどき兵隊の訓練を受けるのが義務だし、更に卒業すると何年かは兵役につかなければならない。兵役といってもいきなり将校(officer)になれる。私が最初に行ったUniversity of Pennsylvaniaで、ROTCという看板を見て何だろうと思い、さらにキャンパスの広場で数人の若者が軍服を着て行進させられているのも見てまた何だろう、と思ったが、この二つの目撃経験は大分あとまで結びつかなかった。こういう学生は結構沢山居て、その後友人になった人たち(皆、結局、大学院まで行ってPhDをとった)でROTC出身だったのが3,4人位いたので、いろいろ知ることが出来た。誰もあれが良かったとは言ってなかったし、そのうちの2人は当時未だ対戦中だったベトナムに行っている。

 さてヨーカム君とはその2年後(1971年夏)Kettering研究所で付き合うことになる。サンピエトロ氏が当時の私の上司キーさんを通して頼んできた。彼の博士論文をまとめるに当たり、閃光分光法で何かデータを出したいからよろしくということだった。この年の6月には、私がイタリアでの第2回国際光合成会議でP430を発表し、自分で言うのは変だが、評判になり、閃光分光法が注目されていたからだろう。サンピエトロ研のあるIndiana大学は、州都Indianapolisにあり、Kettering研究所は隣のOhio州の真ん中付近にあるYellow Springsは、人口5千人の小さな村だが、その間大体600キロくらいで、東京―大阪くらいだろうか。80マイル(約130キロ:法定制限速度)で走れば、まっすぐでしかも大体はすいている道路だから、4-5時間の距離である。今ネットで調べてみると、多分もう70歳過ぎだと思うが名門ミシガン大学の教授で今でも研究室をもっているらしいことが分かった。彼は卒業後PSIIに鞍替えし、わたしはよく知らないが、結構活躍しているようだ。また余談で恐縮だが、最後に会ったのはあれから20年近く後の何とデンマークからスエーデンに渡るフェリーの上で1989年の夏である。これは必ずしも偶然ではなく、ストックホルムでの第8回国際光合成会議に向かってこの船でずいぶん大勢の研究者が乗っていたので会ってもふしぎではない。私は、次の名古屋での第9回会議の準備で庶務を担当していたので様子を見ることも勉強と出かけた久し振りの海外出張だった。そのとき紹介された奥さんは前に会った人とは明らかに違っていたのはどうでもよいことであるが、アメリカではよくあることだしとはいえやっぱり悪口かも。前というのはさっきの1971年頃で私がサンピエトロ研を訪ねたときヨーカム君の家によばれた時にお会いした方には見えなかったのである。それはさておき、その時の実験の話に戻る。彼ともう一人確か後輩のジム・シードウの二人がFRSなるものを持ってやってきて一日閃光分光実験をやった覚えがある。P700の再酸化に何か影響がみえたので、その結果を何とかストーリーにまとめて差し上げ2人は嬉しそうに帰って行った。シードウ君はひと月くらい後に今度は一人でやってきてやはり一緒に実験し帰って行った。サンピエトロ教授からお礼の手紙をもらったかも知れないが覚えていない。とにかく2人の学生のPhD論文を手伝った。ただしアメリカでは論文はPhDをとるための単位のごく一部で日本とは重みが全く違う。2人ともほかの成績は抜群だったに違いない。ちなみにシードウ君は後にアメリカ植物生理学会の会長まで出世した。

 さてここまで書いてきて今回はいつの間にかちっともScientificでなく悪口みたいな話になってしまったことに気が付いた。これ以上遅れないようにここで止めておく。

2014.12.15
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