塩ストレス[salinity-stress, salt stress]

  土壌の塩分濃度が,生育の至適濃度をはずれて高濃度側にシフトした環境条件において,細胞や個体で観察される抑圧あるいは緊張状態をさす.塩化ナトリウムに代表される塩類の集積が原因であり,海水が冠水・浸透しうる海浜地域はもとより,乾燥地帯や不適切な灌漑により人為的に生じた塩類集積土壌においても観察される.塩ストレスは乾燥ストレス低温ストレスと並び,運動能力をもたない植物にとっては避けることのできない重要なストレスであり,その影響は生育の阻害や生産性の抑制として顕著に現れる.塩ストレスに対する感受性は植物種で異なるが,同一種でもその生育段階により差異がある.また,温度・湿度・照度などの気象条件や,塩の種類・土壌の水分状態などの物理化学的環境条件によっても影響される.
 塩ストレスの作用は,ストレス初期から観察される高浸透圧効果と,細胞や生体組織への塩の侵入に伴い生じるイオン毒性効果に区別できる。高塩分濃度環境では土壌の水ポテンシャルが低下するため,植物は吸水を阻害されるか脱水状態に陥る.その結果,細胞は膨圧を維持することが困難となり,個体の萎れをひき起こす.また,水分の損失を抑えるために気孔が閉じるので,外界とのガス交換が遮断され光合成などの代謝が停滞する.気孔の閉孔は蒸散作用も抑制するため,吸水阻害のほかに葉の温度調節も失わせる.したがって,初期に見られる塩ストレスの影響は,乾燥ストレスのそれに類似している.一方,根からは多量の塩が,細胞間隙を通るアポプラスト経路と,原形質膜タンパク質を介したシンプラスト経路を経て侵入する.前者の経路では,塩は拡散やマスフローにより未発達なカスパリー線を横断して導管に至る.後者の経路では,低親和性カリウムトランスポーターなどを介して細胞内に侵入する.細胞内に塩類が蓄積することで,細胞の分裂・伸長や恒常性の維持に必要な他の無機イオン類(硝酸イオン,カルシウムイオン,カリウムイオンなど)の吸収が阻害される.特にカルシウムイオンの欠乏は塩ストレス障害を促進するが,その理由の一つはこのイオンが塩耐性発現のシグナル伝達に必要なためと考えられている.また,細胞内の塩の蓄積は,酵素タンパク質の失活や生体膜の変性など原形質構成要素の機能損傷をひき起こし,代謝をはじめとした細胞生理を攪乱する.
 根から植物体内に侵入した塩は,蒸散を通して地上部に移行・濃縮するので,葉組織の生理機能は多大な損傷を受ける.特に光合成に対する影響は大きく,葉緑体に侵入した塩は電子伝達反応,炭素同化反応をともに阻害する.その結果,光リン酸化によるエネルギー生産や二酸化炭素固定などの光合成機能に直接的な機能障害を与える.塩ストレスは電子伝達反応を担うチラコイド膜や膜に結合したタンパク質複合体の変性と失活を招くが,そのなかでも光化学系Ⅱタンパク質複合体が最も塩ストレスに対する感受性が高い.一方,炭素同化では蓄積した塩によりRubiscoをはじめとした還元的ペントースリン酸回路の酵素の活性が阻害される.塩ストレスによる傷害には,光合成の阻害により派生する活性酸素種の毒性作用も密接に関係している.二酸化炭素固定の阻害は,外界とのガス交換が妨げられ二酸化炭素の供給が断たれることによっても生じうる.塩ストレスによる光合成の阻害は,それに還元力を依存する窒素同化系など他の重要な代謝系にも影響を及ぼす.

関連項目


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Last-modified: 2020-05-12 (火) 04:42:57