第5回「明反応と暗反応」

明反応と暗反応

 言葉は、世代によっても地域によっても変わりますから、自分の使っている言葉が人に通じないという経験は、それほど珍しいものではないでしょう。しかし、それでも家族の中で言葉が通じないとややショックを受けます。例えば「さぼす」は、少なくとも園池家では普通の言葉でしたが、結婚した当初の妻には全く通じませんでした。「少し風に当てて干す」くらいの意味で、洗濯物のように完全に濡れたものの場合に「干す」と言うのに対して、「少し汗になったからさぼしておこう」という感じで使います。ものを知らない妻の蒙を啓こうと意味を説明したら、「方言なんじゃないの」などとのたまうので、ちゃんと辞書に載っているのを見せました。辞書の権威の前に言葉の存在は不承不承認めましたが、どうも未だに完全には納得していないようです。ほかに「うちば」などでも同じようなやり取りがありました。少なめという意味で「ご飯をうちばによそう」などと使います。そういえば、この「よそう」という言い方も最近はあまり聞きませんね。

 言葉に盛衰があるのは科学の分野でも同じです。光合成の分野では、昔は光合成の代名詞だった「明反応」「暗反応」という言葉が使われなくなってきています。高校の教科書ではほぼ絶滅しましたし、2008年から2009年にかけて出た培風館の「植物生理学概論」、オーム社の「植物生理学」、化学同人の「植物生理学」では、いずれも明反応、暗反応という言葉は使われていません。古い例では1998年に出た「生物教育用語集」(東京大学出版会)が、明反応・暗反応という言葉は載せずに、光合成の項に「暗反応・明反応という言葉は教育用語としても使わない」と宣言しています。ここでは「としても」となっていますから、研究用語としてはもちろんのこと、というニュアンスですね。

 面白いのは2003年に出た光合成事典で、暗反応の項では「現在では、暗反応、明反応は概念的なものとして捉えるのが妥当と思われる」として、反応系の実体を示す言葉としての使用を否定しているのですが、明反応の項は意味を定義しておらず「高校の教科書などでは(中略)使用される例もあった」「限定して使用すべきとする研究者もいる」といった感じです。説明が他人任せなので「結局どうしろと?」と聞きたくなります。きっと明反応の方の項目の筆者は、自分でももやもやしていたんでしょうね。

 明反応・暗反応の概念は、もともとは、光の強さや温度を変えて光合成速度を測定した結果からブラックマンが提唱しました。光を徐々に強くしていくと光合成の速度も大きくなりますが、その速度はあまり温度に影響されません。この部分が明反応です。一方、光をさらに強くしていくと光合成の速度は飽和してそれ以上変わらなくなりますが、この速度は温度を下げれば遅く、温度を上げれば速くなります。そこで、この部分では明反応ではない別の反応が光合成の速度を律速していると考えて暗反応と名付けました。

 後に光合成のメカニズムが少しずつ明らかになると、より具体的に、光化学反応とそれに引き続く電子伝達反応を明反応、カルビン・ベンソン回路を暗反応と呼ぶ例が増えました。しかし、2つの光化学系をつなぐ電子伝達は光に依存しない反応で温度によって速度が変わりますから、元々のブラックマンの考え方によれば明反応ではなく暗反応です。また、カルビン・ベンソン回路は実際には暗所では働きませんから、暗反応という言葉は誤解を招きます。そのような点が現在は使われない言葉になりつつある理由でしょう。最近では、2010年に出た東京化学同人の生物学辞典や、2013年に出た岩波書店の生物学辞典(第5版)でも、「使用は避けられる」、「使用しない」などとなっています。

 みなさんは明反応・暗反応という言葉を使っているでしょうか。別に一つの規範で言語を統制する必要はないと思いますが、少なくとも言葉の背景や歴史的な意味を知った上で使うことは大切でしょう。そして、最後に一つお願い。もし「さぼす」「うちば」という言葉を日常普通に使っているよ、という方がいらっしゃったらお知らせください。是非妻に伝えたいと思いますので。

2013.05.07 (文:園池公毅/イラスト:立川有佳)
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