葉緑体チラコイドや光合成細菌クロマトホアの光リン酸化,ミトコンドリアや細菌細胞膜の酸化的リン酸化などの生体膜におけるATP合成機構として*Mitchellが提唱(1961年頃より)した理論.これらの生体膜においては,化学エネルギーや光エネルギーは電子伝達系の働きにより*プロトン(H+)の電気化学ポテンシャル差(*プロトン駆動力)に変換され,これが直接のエネルギー源となってATP合成酵素によってATPが合成される.これらの生体膜では電子伝達体は膜に内外の方向性をもって埋め込まれているため(異方性),酸化還元に伴ってH+は膜を一方向的に輸送される.また,これらの膜はH+をはじめとするイオンに対する透過性が低い.
ATP合成酵素の立体構造はWalkerらのX線結晶構造解析により解明され,吉田-木下らによって触媒時にγサブユニットがモーターの芯のように回転することが示された.化学浸透説が確立する以前には, ATP合成の直接的エネルギー源として,解糖のホスホエノールピルビン酸に相当するような共有結合をもった高エネルギー化合物の存在が仮定されたが(化学共役説. 1960年代まで),そのような化合物の存在は否定されている.
化学浸透説はATP合成機構を説明できたばかりでなく,生体膜における多くのイオンや非電解性溶質の移動を含むエネルギー変換機構をも説明するものである.たとえば,植物細胞や液胞膜では,ATPaseがATPを消費して*プロトン駆動力を形成し,生体膜にある特異的輸送体がこのプロトン駆動力を利用してCa2+,有機酸, HPO42やショ糖などを輸送する(化学浸透共役).化学浸透機構による輸送は,膜の電気化学ポテンシャル差を解消する脱共役剤によって阻害される.これに対し,化学浸透機構によらずATPを直接利用する輸送系もあり,こちらはATPがあれば脱共役剤によって阻害されない.シアノバクテリアの硝酸イオン輸送系がその例である(ABC輸送体).ある種の細菌などには,H+駆動力の代わりにNa+駆動力(Na+の電気化学ポテンシャル差)を利用して溶質の吸収やべん毛運動を行い,さらにはATP合成を行うものがある.