「私の論文」
応用指向研究から始まった葉緑体形質転換技法の研究室への導入で実現した循環型電子伝達系に関与する遺伝子の発見やその後の我が研究室の展開をお話しします。
私、横田は大阪府大で学位取得後、Euglenaのグリコール酸酸化機構と光呼吸に関する研究を10年ほど行った。1983年春から1年間の留学(カナダのクィーンズ大学生物学科)中は、RuBisCOとCO2ポンプに関する研究に従事した。帰国後、学部学生時代からやりたかったRuBisCOの反応機構に関する研究に没頭した。そんな折(1993年)、京都大学農学部大山莞爾先生から、けいはんな学研都市に設置予定の(財)地球環境産業技術研究機構(RITE)に大気中CO2の削減に資する研究を行う植物関連研究室の主席研究員就任への勧誘電話を頂いた。大阪府大の研究室では私には63歳まで助手からの昇進は不可能という状況だったので、大山先生のお話をお受けすることにした。早速、当時RITEの科学技術諮問委員をなさっていた当時京大教授の山田康之先生(その後奈良先端大教授から学長にご就任)の面接を受け、採用が決定された。当時RuBisCOの構造活性相関に関して研究していた私は、学生たちとsuper-RuBisCOの創成を目指そうと意気込んでいたので、RITE設立を担っていた当時の通産省の下部組織であった石油産業活性化センター(PEC)が実施予定していた10年プロジェクト「砂漠緑化プロジェクト」を請け負うには絶好のストーリー立てが可能だった。
RuBisCOの構造活性相関に関する結果に基づいてRuBisCOに点変異を導入しようとすると、基盤技術としてRuBisCO大サブユニット遺伝子rbcLをコードする葉緑体DNAの形質転換が不可欠になる。当時のRITE植物分子生理研究室は、府大から連れてきた数名の生化学に長けた学生と京大浅田研で学位を取得した佐野智君(現京都府大)、ユニチカからの出向で京大大山研で分子生物学の手ほどきを受けていた植村康一さんで発足した。それは、1993年にRutgers大のMaliga研で葉緑体形質転換技術が完成した(PNAS 90, 931 (1993))直後だった。当時この技術を使いたい人は皆、Maliga研の神業に頼っていたようである。私はこの技術を自分のところでも自由に取り扱える技術にしようと、京大の佐藤文彦教授に優秀な若手研究者の紹介を依頼した。前年に(株)ニチレイから出向して当時の京大山田研(その後は佐藤研)でイネミトコンドリアDNAと雄性不稔に関連する研究で学位を取得直後の鹿内利治さんを紹介して頂いた。学位取得後に本業に戻った直後にニチレイが植物研究を中止することを決め、鹿内さんは研究分野に戻りたい希望を持っていた。RITEへの着任後、直ちにMaliga法に倣った葉緑体DNAの遺伝子操作技術の確立を当初の目標にして研究を始めた。aadA遺伝子を導入することで選別薬剤であるspectinomycin耐性になったタバコ株は間もなくスクリーニングされてきた。
まだ研究室が始まったばかりでRuBisCOの構造活性相関研究もこれからという時期で、完成した葉緑体形質転換技術は別の研究に使おうと二人で相談した。1986年に京大大山研でゼニゴケ葉緑体DNAの全塩基配列が解読された後、大山先生から葉緑体におけるNAD(P)H dehydrogenaseやchlororespirationに関して質問を受けたことを思い出した。葉緑体DNAにはNDHの11サブユニットの遺伝子がコードされていたためだ。当時の名大の小川晃男先生や京大の浅田浩二先生の研究で、Synechocystis PCC6308ではndhBが光化学系Iの循環型電子伝達系に関わっていることが明らかになっていた。しかし植物葉緑体のNDHの11遺伝子の機能に関しては1993年当時未解析のままであったし、生理生化学的な解析だけでは光化学系Iの循環型電子伝達系の存在については世界的にも結論は得れていない状態だった。そこで、タバコ葉緑体DNAの反復配列上に存在しているndhB遺伝子の破壊に取り組もうと、直ちに研究に着手した。
ndhB遺伝子の破壊は、この遺伝子内にspectinimycin耐性を付与するaadA遺伝子カセットを相同組換えでndhB遺伝子内に挿入することで行った。3回のspectinomycin耐性選抜によって野生型で見られるndhBを含むDNA断片が全く検出されなくなるとともに、葉緑体NDH活性を調べる方法の一つである励起光消灯後の蛍光クエンチングの増加が全く見られなくなった。この結果は、植物葉緑体でndhB遺伝子産物が光化学系I周辺での循環型電子伝達系に関わっていることを示す世界最初の結果となった。鹿内さんは1994年度に奈良先端大の山田研の助手として移籍した後もこの研究を続け、P700 の酸化還元キネティクス解析実験の結果からも、明らかにndhB遺伝子の破壊によって光化学系Iの循環型電子伝達反応が機能不能になっていると結論した。
私も1996年からは奈良先端大で研究室を持つことになり、この成果は1997年にScienceに投稿した。本審査に回ったが、何の音沙汰もないまま数か月間が過ぎた。担当編集者にメールを打ち、論文審査の進捗状況を聞いたが、帰ってきた応答は掲載「不可」であった。すぐさま、UC Berkeleyで長年循環型電子伝達系研究の中心だったD. I. Arnon先生の下で研究した旧知のB. Buchannan先生にPNASに“communicate”して頂き、最終的に1998年8月に掲載された。同年2月にはEMBO J.に、別遺伝子の破壊によるNDHの機能を解析した論文が発表された。それは、極めてよく似た機能解析法を使い、論文構成もよく似たもので、この1年間は不思議な時間経過ではあった。
しかし、RITEで始まったこの葉緑体形質転換法の導入はこれに関わった私たちのその後の研究に大きな影響を与えた。鹿内さんは1998年から田坂昌生教授の下で分子遺伝学による変異遺伝子のクローニング法を学び、その後の循環型電子伝達系に関わる遺伝子と最近の循環型電子伝達系タンパク質複合体に関する研究へと大きく発展して行ったことは、光合成研究者である皆さんがよく知るところだ。NDH研究で始まりPGR5へと進んできた循環型電子伝達系研究は、まさに“けいはんな”で始まり、“けいはんな”で大きく発展した分野となった。
葉緑体形質転換法はその後もRITEでポプラやレタスで確立された。また、現在では国内でも多くの研究室で葉緑体形質転換が可能になっている。私たちも近畿大農の重岡成教授らとともに、タバコ葉緑体DNAに彼らのラン藻FBP/SBPase遺伝子を導入し、生産力拡大に成功した。このあたりの特許は日本のみならず、欧米や中国などで特許登録されている。さらに、葉緑体形質転換は葉緑体での医用蛋白質の合成など、今後の植物機能を活用する研究への展開にも成功しており、今後が期待される。
葉緑体形質転換法の導入は私たちの応用研究が主目的で始まった。当時、その後の20年間で上記のような大展開があるとは、全く予想だにしなかった。今思えば、基礎研究だとか応用研究だとか、自分の研究をそれほど厳密に仕分ける必要もないのだろう。要は、「何が一番楽しめるか」である。