「私の論文」

No.16
小川健一(岡山県農林水産総合センター生物科学研究所)

故浅田浩二先生に感謝の意を表して

 この論文は、1997年3月に浅田先生が京都大学を退官されるころにお世話になった仕事で、私としては、いろいろな意味で忘れられない論文となっている。

 論文の内容は、細胞壁構成成分のうち、セルロースに次いで、自然存在量が多いリグニンの合成場所とスーパーオキシドアニオンラジアル(O2-)と過酸化水素(H2O2)の生成場所が、組織、時間・空間的に非常に密接な関係にあることを示した論文であり、そのO2-は好中球でみられるようなNADPHオキシダーゼと類似の酵素で生成されることを植物で初めて提唱した論文である。また、アポプラストにおけるH2O2生成には、O2-の不均化反応を促進する酵素、スーパーオキシドジスムターゼ(SOD)、が必須であることを示した論文でもある。つまり、リグニン合成の場では、細胞内から供給される電子供与体を使い、O2-を発生させ、それをH2O2とO2に不均化させ、生成したH2O2をリグニン合成の基質として利用することを提唱した。

 リグニンの合成は、ラジカル重合であり、その前駆体としてフェニルプロパノイドのラジカルが供給される必要がある。当初は、細胞外に存在するペルオキシダーゼがフェニルプロパノイドをラジカル化する説が提唱されたが、その反応に必要なH2O2の生成を示す証拠が見つからず、しかもH2O2の発生には細胞壁の主要成分量を賄うほどの量の電子供与体が必要だが、それがどこから供給されるのかという単純な疑問に答える仮説が提唱されず、ペルオキシダーゼ説よりは、ラッカーゼ説の方が有力とされて行ったようである。ペルオキシダーゼ自身によるH2O2発生説もあったが、その場合も電子供与体の量的な問題が解決せず、有力な説にはならなかったという経緯もあった。一方、ラッカーゼは、フェニルプロパノイドを前駆体に酸素を4電子還元するため、H2O2のような酸化剤を必要としない。しかし、酵素活性等を考慮して、ラッカーゼ説ですべてが説明できるのかという議論がなされていたようである。

 40年ほどの議論中に突然、この論文が発表されたことになったわけだが、この論文では、ラッカーゼ説を否定も肯定もしていない。単にペルオキシダーゼ説の電子供与体の量的な理屈を解決しただけのように見えるかもしれない。しかし、やればやるほど、浅田先生と議論すればするほど、実に巧妙にH2O2発生装置ができていることに気づかされた。ひとりだけで自己完結していれば、論文に詳しく書かれているような内容まで掘り下げられることはなかったと思う。この発表内容は国際学会の挨拶の中でも紹介してもらえるなど、評価を受けたことは単なるペルオキシダーゼ説のサポート論ではなかったことであると考えている。

 データでは、H2O2の発生は、CuZn-SODの阻害剤やNADPHオキシダーゼの阻害剤で抑制されることが示されている。NADPHオキシダーセによるO2-生成阻害がH2O2生成の抑制につながったことは、単純にH2O2生成経路の中間体がO2-であると理解しやすい。しかし、SODの触媒する不均化反応はpHが低いほど早く、通常の酵素学的な知見からすれば、アポプラスでのpH下(約5.5)では、SODの触媒機能はもはや意味をなさないと理解できる。実際に海外の科学者と議論するとそのような議論が必ず出てきたものである(もちろん、浅田先生からも出てきた)。しかし、実際のデータはSODが有効に機能していることを示していた。これは、SODがなければ、生成したO2- が何等かの細胞構成成分と反応してH2O2になることができないことを意味していた。例えば、ペルオキシダーゼ自身、O2- と反応してCompoudIIIという不活化状態となるような分子との反応であろう。SODがスムーズに不均化を触媒しなければならない理屈は、少なくともそこにもあるという結論だ。

 では、なぜわざわざO2-を中間体にする一電子酸化の手段を進化的に選んだのであろう。生物は2電子移動で酸素からH2O2を生成させる酵素を持っている。例えば、グルコースオキシダーゼのような酵素である。また、なぜ、Mn-SODではないのかということも疑問である。Mn-SODにH2O2耐性はCuZn-SODはH2O2に弱いため、H2O2が過剰になれば、アースのようにH2O2の生成を止めることができるという議論になるであろう。また、少なくとも、H2O2はO2-に比べて安定で、シグナル分子として細胞内外へ拡散する可能性のある分子であるが、強い細胞毒性を示す点で量的な制御が必要なためと考察できた。植物は危険な活性酸素を実に巧妙に操っているようだ。

 この論文の論理構築に浅田先生の存在なくして、この論文の価値が高められることはなかったと感謝している。疑問の多くは、浅田先生から寄せられ、それに答えようと実験した結果は、必ずしも自分が思う結果ではなかった。学生に対しても議論は容赦ないものであったが、そのプロセスで自分が非常に成長したと今でも思う。特に結果が思った通りにならないことに対する議論は半端ではなく、学生にとってめげそうになることも多々あったと思う。しかし、ある時「今までの常識でないことを見つけたときは、ものすごくしっかりとしたデータを出さなければならない。中途半端なデータでは、重要な知見とはなりえない」と励まされた言葉を今でも思い出す。浅田先生の説が変わるかもしれないときでも、その姿勢は変わらなかった。真実に向き合い、「データが一番正しい」は、浅田先生から学んだ一番重要なことであり、今でも私の心情である。

 浅田先生は、晩年、活性酸素が毒であるとする一方、その必要性を説いておられた。「活性酸素」は、浅田先生の造語であるが、晩年は「活性酸素生理学」という造語もよく口にされておられた。それは、この仕事から派生した活性酸素の生理機能(現在の研究グループの仕事の基盤)について、一定の理解を示してくださったと理解している。現在では、活性酸素の生理機能は、グルタチオンの代謝と密接な関係にあることがわかってきたが(Ogawa and Iwabuchi 2001;Ogawa 2005; Hatano-Iwasaki and Ogawa 2012a, b; 特許文献等)、その発端も実は浅田先生からのアドバイスだった。活性酸素の生理機能とグルタチオン代謝に依存していることを示す実験結果が得られたとき、「植物でのグルタチオンの機能は、本当はあまり理解されていないんだよね。これまでに分からなかったことがわかるかもしれないね」との一言は、意外であった。研究の当初、アスコルビン酸―グルタチオン回路として活性酸素消去系の重要な位置付けをされていたグルタチオンの機能に未知の部分が多くありそうだという議論を聞き、その研究を進めたのが今の研究室の仕事である。 2000年になり、NADPHオキシダーゼの植物の生育に対する重要性を示す論文が普通に目にするようになった。ますます、活性酸素の毒性と生理機能に関する研究が深まることを期待したい。また、そこにグルタチオンの重要性と応用展開を絡ませていければ、なお面白い。そこに浅田先生がおられないことが非常に寂しく思えるが、今も浅田先生との議論の底にある「これまでに見出されていないことを発見したい」という原動力は持ち続けたいものである。

2014.07.18 小川健一