「私の論文」

No.6
増田建(東京大学大学院 総合文化研究科)

 これまでの私の研究の中で一つの転機となった論文を紹介したい。私自身は大学院の修士課程で研究していた除草剤がテトラピロール代謝系の阻害剤であったことがきっかけとなり、その後20年以上、植物のテトラピロール代謝制御の研究を中心に行なってきた(その経緯については、光合成研究 (2012) 64: 115-124をご覧下さい)。1992年に東京工業大学の高宮研究室において本格的に研究を開始した当初は、植物の分子生物学の黎明期で、さまざまな遺伝子クローニングに関する論文が報告されていた時期であり、私もご多分にもれず、代謝系の遺伝子のクローニングや発現解析に明け暮れていた。私自身は、特にテトラピロール代謝系の鍵段階である、前駆体(5-アミノレブリン酸)合成のステップ、テトラピロールに金属を配位するステップ、テトラピロールの第4環を還元しクロロフィル特有の吸光特性を与えるステップを中心に研究を行なっていた。これらステップに関与する遺伝子の個別解析により、光や植物ホルモンなどによる制御機構を次第に明らかにすることが出来たが、さらに代謝系全体を俯瞰した場合に、どのような制御が行なわれているのかに興味を持つようになっていった。

 丁度、2000年にシロイヌナズナのゲノム解読がNatureに発表され、テトラピロール代謝に関わる遺伝子も、そのアイソフォームの構成等を含め、その全貌がほぼ全てが明らかとなった。その後、Affymetrix社などのDNAチップを用いたアレイ解析も登場したが、解析には高額な費用が必要であり、当時あまり研究費に恵まれていなかった研究室の助手としては、気軽に多サンプルのアレイ解析を行なうことは難しい状況であった。そこで、シロイヌナズナのテトラピロール代謝系遺伝子を全て網羅した小さなアレイを自作することを考案した。原理は至って単純で、遺伝子特異的な150~300 bpのプローブを調製し、それを業者にナイロンメンブレン上にスポットしてもらい、33Pで放射線ラベルしたcDNAとのハイブリダイズにより放射線活性を定量するというものである。このミニアレイには、リファレンスとなる遺伝子を含めて合計48遺伝子のプローブをスポットし、再現性を見るために2セットを1組とした。プローブを自前で調製したことにより、私たちの研究費でも賄える範囲で、100枚以上のミニアレイを作製することが出来た。

 そこで、このミニアレイを用いて、シロイヌナズナの暗所芽生えの緑化時、成熟個体の日周期や概日リズム変化、組織特異性、発達による制御等、さまざまな条件におけるテトラピロール代謝系各遺伝子の発現解析を行なった。潤沢に用意したミニアレイのおかげで、反復実験を含めた数多くのサンプルの解析を行なうことが出来たが、苦労したのは、ミニアレイの品質のばらつきと膨大な数値計算であった。自作のミニアレイの中には質の悪いものが混じっており、その扱いに苦慮した。またエクセルによる数値計算や遺伝子発現パターンのモデル化など、慣れない解析に苦労しながらも何とかデータをまとめることが出来たが、その結果は当初予想していたものとは大きく異なっていた。

 当初、代謝系の上流と下流では、遺伝子発現の光誘導等にある程度の位相が存在するのではないかと予想していた。即ち、上流の遺伝子ほど早く誘導され、下流の遺伝子ほど、その誘導は遅れるのではないかという予想を立てていた。しかし、ミニアレイによる解析の結果、代謝系の多くの遺伝子は光誘導を受け、その中でも特に4つの遺伝子(HEMA1, CHLH, CHL27 (CRDI), CAO)の発現パターンが、芽生えの緑化時および日周期・概日リズムにおいて、非常に高い協調性を持ちながら、顕著な制御を受けることが明らかとなった。さらに、これら4つの遺伝子発現は、リファレンスとしてスポットしたLhcb6 (Light-harvesting Chl a/b binding protein)とも高い遺伝子発現の協調性を示した。以上の結果から、この論文では、テトラピロール代謝系の異なるステップに関与する鍵遺伝子と光化学系のLHCB遺伝子が協調的に発現制御を受け、葉緑体発達や維持に重要な役割を果たしていることを示すことを報告することが出来た。

 その後、DNAアレイのデータは急速に蓄積されていき、当時、同じ研究室に居られた大林武さん(現東北大准教授)が開発された共発現遺伝子データベース(ATTED-II)を用いた解析により、テトラピロール代謝系では先の4遺伝子に加え、新たにGUN4, CLA1が共発現遺伝子として追加された。さらにこれらテトラピロール代謝系の遺伝子は、ゲノムレベルで光化学系のサブユニットやLHCなど核コードの光合成遺伝子とも高い共発現性を示すことが明らかとなった。以上のことから、これらの遺伝子の発現を統御する転写制御システムの存在が予想され(Masuda & Fujita (2008) Photochem Photobiol Sci, 7: 1131)、そのメカニズムに何とか切り込めないかと思案していた。

 2004年に東京大学に異動した後、当時学振PDの小林康一さん(現東京大助教)と緑化した根において上記のテトラピロール代謝系遺伝子や光合成遺伝子の発現が活性化されていたことを指標に、これら遺伝子の転写制御機構について解析を行なっていった。そして、光およびオーキシン/サイトカイニンシグナル伝達系のそれぞれの下流に存在する転写因子、HY5とGLK (Golden2-like)が、これら共発現遺伝子のプロモーター上に存在する異なるシス配列に結合することが、共発現機構の1つであることを明らかにすることが出来た(Kobayashi et al. (2012) Plant Cell, 24:1081, Kobayashi et al. (2012) Plant Signal Behavior, 7: 922)。またこの転写活性化は、非光合成器官である根においても機能的な葉緑体形成を引き起こすことから、テトラピロール代謝系遺伝子と光合成遺伝子の協調的な誘導が機能的な光化学系を構築し、葉緑体形成を誘導する重要なメカニズムの1つであることが明らかとなった。

 以上のように、本論文は葉緑体形成において重要な役割を果たすと考えられる、光合成およびテトラピロール代謝系遺伝子の協調的な転写制御機構の解明に迫る上で、その契機となった論文である。また本論文は、テトラピロール代謝系全体の遺伝子発現について詳細なデータが掲載されているため、多く引用して頂いている。ちなみに本論文は私が初めてLast authorとして報告した論文である。この論文の投稿から受理に至る時期は、丁度、私が東京工業大学から東京大学に異動する時期にあたり、故高宮教授より異動のお祝いとしてこの論文のLast authorを贈られた点でも思い出深い。

 次世代シーケンサーがバリバリと活躍する現在では、本論文のような話は昔話にしかならないかもしれない。しかし、いつの時代においても、研究費やマンパワーに劣る大学の研究室でも、発想や切り口の工夫次第で何とか世界と伍していけると自分に信念を持たせてくれた論文である。

2013.05.07 増田建