炭水化物のシグナリング[carbohydrate signaling]

 炭水化物は生体を構成する成分やエネルギー代謝の基質となるばかりでなく,特にグルコースに代表される糖は,様々な遺伝子の発現を調節する信号(シグナル)因子としての作用も有している.これを炭水化物のシグナリングと呼ぶ.炭水化物による遺伝子発現制御は多くの例が知られているが,一般に光合成関連の遺伝子は糖により発現が抑制され,シンクの糖代謝関連遺伝子は促進される傾向がある.
 炭水化物のもつシグナル因子としての性質は,酵母のカタボライト抑制(培地中にグルコースなどの代謝しやすい炭素源が十分に存在するとショ糖やガラクトースなどのグルコース以外の炭素源代謝に関わる遺伝子の発現が抑制される現象)について詳しく調べられ,シグナル伝達においてある種のヘキソキナーゼ(HXK)やSNF1というセリン-スレオニンプロテインキナーゼなどが重要であることが明らかになった.これをモデルに高等植物における炭水化物シグナリングも活発に研究された結果,高等植物でも酵母と同様にHXKが糖センサーとして関与するシグナリング経路があり,シロイヌナズナにおけるrbcS遺伝子やcab遺伝子の糖(グルコース)による抑制などに関わることが明らかになった.また,SNF1と相同性をもつ遺伝子(SnRKファミリー)も様々な植物から同定され,糖代謝関連遺伝子の発現制御に関わる例も報告されている.HXKの下流では,アブシジン酸エチレンをはじめとする複数の植物ホルモンが関与し,複雑な糖シグナル伝達ネットワークを形成する.
 グルコース-HXK系以外にも,フルクトースのシグナル伝達因子としてシロイヌナズナの転写因子ANAC089が同定されている.この転写因子はC末端領域の膜貫通ドメインで細胞膜に局在するが,その一部がプロセシングを受けて核内に移行することでフルクトースシグナル制御に関与することが報告されている.他にもHXKが関与しないグルコースやショ糖によるシグナリング経路も存在し,これらの糖のトランスポーターがセンサーとして機能するという考えも提唱されたが,その証明はなされていない.
 また,夜間のデンプン分解速度は,細胞内のデンプン貯蔵量と日長から厳密な制御を受け,細胞内エネルギーホメオスタシス維持に貢献する.そのため,夜間のデンプン分解速度を制御する炭水化物シグナル伝達系の存在も示唆されているが,その分子実態は不明である.
 炭水化物シグナルは糖代謝系に限らず,窒素栄養シグナル伝達系とクロストークすることも知られており,窒素源の取込みや代謝の制御にも関与する.炭素と窒素シグナルのクロストークに関与する因子としては,シロイヌナズナの2-オキソグルタル酸結合因子GLB1(大腸菌のPIIホモログ),グルタミン酸受容体GLR1.1,ユビキチンリガーゼATL31等が報告されている.
 細胞内物質代謝の制御に加えて,炭水化物シグナルは根の形態形成や植物の成長相転換にも作用することで,植物の発生・成長制御に広く関与する.特に,トレハロース合成の中間体であるトレハロース6-リン酸は植物の花成および老化を誘導する直接的なシグナル物質として機能し,植物の生活環制御に重要であることが報告されている.


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Last-modified: 2020-05-12 (火) 04:43:21